スペシャル 

なぜ、ユリイカ代表の北村はユリイカを創設したのだろうか?なぜ、ユリイカ代表の北村はこんなにもバレーボールを愛することになったのだろうか?いま、ユリイカ代表の北村本人が沈黙を破り熱いドラマを語りだす。
「以前から思っていたユリイカ代表の北村のバレー観を自分の体験を通じてみんなに伝えたかった。」
(ユリイカ代表の北村談)

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スペシャル  ユリイカ創設編 〜そしてユリイカ代表の北村の思い〜

 中学時代で、バレーのおもしろさと友情を知り、
 高校時代で、バレーの難しさと挫折を知り、
 専門時代で、バレーの楽しみ方と自身を得た
 
 こういった経験を生かすためにも、絶対「三重でチームをつくる」と決意したので
ある。
 中学校の仲間達と、兄弟、そしてバレーを知らない人達もバレーの素晴らしさを知ってもらい、みんな一緒になって感動できるチームをつくりたい!!
 ここまで意気込めたのはやはり、兄弟や地元の仲間たちを信頼していたからである。
 このメンバーなら絶対来てくれると信じ、やっていけると確信していたのだ。
 
 そして、2000年春、動き出したのである。
 
 まずは体育館探しから…
 みーの君、同級生のユウヤらと、津市内の体育館を電話などで探すが、どこも空いておらず出だしでつまづく。
 しかし、数日後…、奇跡的にも「西郊中学校開放」のチラシを偶然にも発見!後にも先にもこういったチラシを見たことはない。
 まさに奇跡!
 
 こうして2000年 6月 ユリイカバレーボールチームが発足したのである。
 出だしは、兄弟3人と岩中君の4人…
 当時、白塚から自転車で来てもらっていた、鉄人岩中君の刺激を受け、なんとかやっていけた。
 その後、池村広報部長によるホームページ開設により、徐々に人数も増えてくる。
 
 翌年 2001年 春 中学時代の大卒組が一気に入部。この頃から女子も数名加わり、活気が出てくる。
 
 いつも思っていることだが、私自身、代表というのは肩書きに過ぎず、周りの人に常に支えられています。

 会計の仕事、盛り上げ役、縁の下の力持ち フミ君
 兄弟一のしっかり者と、独特の感性を持つ みつお
 冷静にアドバイスをして、色んな人を見ている みーの君
 人の嫌がることを嫌な顔せず真っ先進んでこなす まなみちゃん
 この頃は東京にいたのに色々面倒を見てくれた、チーム1の頑張り屋さん イッケン
 鉄人、ポッター、岩中君

 一人ひとり言っていくときりがありませんが、初期の段階では、まちがいなくこのメンバーに助けられました。もちろん他にもたくさんいますし、今でも助けてもらっています。
 
                 ありがとう!!

 そして、その後も続々と素敵な仲間が集まって、今にいたっております。
 ユリイカは幸いにも、こういった魅力溢れる方たちによって成り立っています。ここまでの人数が、仲良く、一緒に喜びも悲しみも分かち合えるチームになってきているということは、一人ひとり出来上がった人間が多いからだといえます。
 この年になってこれほどバレーを楽しめる環境が出来るのは、みんなのおかげです。

 会うべくして会ったメンバーなのです。

 ちょうどこの頃、バレーとは?っていうのを考えていました。その頃、自分がまとめたバレー論も載せたいと思います。

 バレーとはデリケートなスポーツ
 コートは他のスポーツよりも狭く、敵味方と真っ二つに分かれており、お互いの仲間意識が生まれやすい他のスポーツよりもチームメイトとの信頼関係がプレーとなって、もろにあらわれてくる
 
 いいレシーブをして、セッターへの負担を減らす、いいトスを上げてアタッカーに気持ちよく打ってもらう、みんなのおもいをスパイクにのせる
 まさに<バレーとはチームワーク>

 そのチームワークを形成するためには、やはり一人ひとりの人間から成ってくるものである
 自分のことしか考えない人、他人には興味のない人、仲間を大切にしない人ではチームワークが生まれない

 すなわちバレーボールを通して、自分自身をみつめなおし、周りを考えることが出来る、魅力的な人間にならなければいけないのである
 
 バレーボールとは間違いなく、人間として成長できるスポーツだ


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